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  • 鰻屋って、商売としてよくできている。

    鰻屋をやってみて思う。

    商売としてよくできている。

    もちろん簡単ではない。
    仕入れも、焼きも難しい。値段だって安くない。

    でも飲食店として考えると、かなり強い。

    まず、何屋なのか一瞬で分かる。

    鰻屋です。

    説明がいらない。

    お客様も、だいたい食べるものを決めて来てくれる。何十種類もの料理を仕込み、それぞれに技術を持った人を配置する必要もない。

    鰻をちゃんと焼く技術は必要だ。
    でも、商品を絞り込める強さがある。

    そして鰻には、食べに行く理由がある。

    土用の丑の日。家族の食事。少し元気をつけたい日。ちょっとしたご褒美。

    日常と、ご馳走の間くらい。

    さらに、大きな店でなくても成立する。

    だから鈴喜の暖簾分けも、本店をそのままコピーするつもりはない。

    街中なら、小さな鰻屋。
    住宅地なら、家族で来られる店。
    観光地なら、その土地らしい鰻屋。

    立地とオーナー店主に合わせて、形は変えればいい。

    でも、

    鰻をちゃんと焼く。
    美味しく食べてもらう。
    また食べたいと思ってもらう。

    ここは変えない。

    十年前にもあった。今もある。たぶん十年後も食べたい。

    いつの時代にも、
    「今日は鰻を食べよう」がある。

    だから僕がつくりたいのは、流行る店というより、

    長く商えて、ちゃんと儲かる店。

    暖簾分けする分店は、そこまでちゃんと整えますからね。

    ちなみに鈴喜本店は、メニューが豊富で経営効率が著しく悪い。

    例のごとく、生きた実験台であるがゆえに背負った、宿命の十字架なのである。

    分店の皆さんには、この十字架まで暖簾分けするつもりはありません(笑)。

    ナカジ、お疲れ様。
    いつもありがとう。

    僕は君の焼き切り鰻が、
    世界一美味いと思っています。

  • 松阪牛なら、全部同じではない。

    まつさかうし
    松阪牛を長く扱っていると、
    よく分かることがある。
    松阪牛なら、全部同じではない。
    むしろ、
    その名前が付いてから、
    何を選ぶかが大事だと思っている。

    松阪牛の基準は、
    2002年に大きく変わった。
    それ以前にあった、
    肉質の「上規格以上」という条件がなくなり、
    現在は個体識別や肥育地域などを軸に、
    松阪牛が定義されている。
    これは、
    安全性やトレーサビリティという意味では、
    大切な進化だった。
    一方で、
    同じ「松阪牛」の中にも、肉質の幅がある。
    ということでもある。

    だから、
    僕らは、
    「松阪牛だから仕入れる」
    という買い方をしない。

    長くお付き合いしている、
    精肉卸のご主人がいる。
    自分の目で肉を見て、
    いいものを選ぶ。
    僕らが買っているのは、
    ある意味、
    その人の目利きでもある。

    そこから、
    選び抜いたものを、
    寿ゞきんに分けてもらう。

    だから、
    よその料理屋さんなら、
    「上」
    「特上」
    「特選」
    と分けてもおかしくないような肉も、
    うちでは普通に出てくる。
    僕らにとっては、それが「並」だから。

    もちろん、
    霜降りが多ければ、
    必ず旨いわけでもない。
    等級だけで、
    味が決まるわけでもない。

    だからこそ、
    最後は人の目だと思っている。

    松阪牛という看板に、
    あぐらをかかない。
    松阪牛かどうかではなく、
    どんな松阪牛を選ぶのか。

    これは、
    これから暖簾を受け継ぐ人にも、
    そのまま渡していきたい。
    名前だけではなく、
    仕入れも、
    目利きも、
    品質の基準も。

    「松阪牛だから旨い」ではなく、
    「旨い松阪牛を選んでいる」。

    寿ゞきんの肉の違いは、
    案外、
    そんなところにある。

  • 松阪牛という商売は、まだまだ面白くできる。

    2026 秋|BUSINESS

    三重で飲食店をやっていると、
    松阪牛は、
    あまりにも身近にある。
    でも、
    改めて考えると、
    ものすごい素材だと思う。
    全国で名前が通じる。
    説明しなくても、
    価値を知っている人がいる。
    そして、
    県外へ出れば、
    その力はさらによく分かる。
    こんな素材を、焼肉だけで終わらせる必要はない。
    僕は、
    ずっとそう思っている。

    松阪牛の店というと、
    まず焼肉を思い浮かべる人が多い。
    もちろん、
    焼肉は強い。
    僕らも、
    長くやってきた。

    でも、
    松阪牛という素材から考えれば、
    商売のつくり方は、
    もっとある。

    網焼き。
    すき焼き。
    しゃぶしゃぶ。
    鉄板焼き。
    肉割烹。

    同じ松阪牛でも、
    料理の仕立て方が変われば、
    店の大きさも、
    客単価も、
    使う部位も、
    必要な設備も、
    お客様の使い方も変わる。

    僕は、
    ここに可能性を感じている。

    寿ゞきんは、
    松阪牛を炭火の網焼きでいただく店だ。
    焼肉店ではない。あみ焼き、網焼きなのだ。
    冬はしゃぶしゃぶもやる。

    個室を中心に、
    一枚ずつ、
    ちゃんと肉を食べてもらう。

    焼肉とも違う。
    ステーキとも違う。

    松阪牛そのものを、どう食べてもらうか。
    そこから、
    店をつくってきた。

    そして、
    この考え方は、
    今の寿ゞきん一軒だけで、
    完成するものでもないと思っている。

    例えば、
    カウンターだけの、
    小さな松阪牛の店があってもいい。

    すき焼きを主役にした、
    分店があってもいい。

    鉄板を挟んで、
    料理人とお客様が向き合う店も、
    面白い。

    土地が変われば、
    店の形も変わる。
    物件が変われば、
    最適な商売も変わる。

    だから僕は、
    暖簾分けというものを、
    同じ店をコピーして増やすこと
    だとは考えていない。

    大切なのは、
    松阪牛という素材を、
    ちゃんと扱うこと。
    その価値を、
    安売りしないこと。
    そして、
    お客様に、
    「松阪牛を食べた。」
    という満足を、
    ちゃんと持って帰ってもらうこと。

    そこを守れるなら、
    店の形には、
    まだまだ可能性がある。

    大きな店である必要もない。
    何十席も、
    つくる必要もない。

    むしろ、
    オーナー店主が、
    自分の目の届く範囲で、
    松阪牛と向き合う。

    そんな店が、
    東京にあってもいい。
    大阪にあってもいい。
    京都でも、
    地方都市でもいい。

    僕がこれから、
    暖簾を分けていきたい理由の一つも、
    そこにある。

    店を増やしたいだけではない。
    松阪牛という素材から、
    まだ世の中にない商売をつくってみたい。

    寿ゞきんの次に、
    どんな松阪牛の店が生まれるのか。
    実は僕自身も、
    まだ全部は決めていない。

    暖簾を受け継ぐ人。
    その人が見つけた物件。
    その街。
    そこにいるお客様。

    それを見ながら、
    一緒に考えればいい。

    松阪牛の専門店は、まだ一種類じゃない。
    僕は、
    そこに結構大きな可能性があると思っている。

  • もしかして、これが天職かも。

    もしかして、これが天職かも。

    ここまで、飲食事業統括についていろいろ書いてきました。

    読んでいて、

    「結構やること多いな。」

    と思ったヒトもいると思います(笑)。

    でも僕は、

    最初から全部できるヒトを探しているわけではありません。

    まして、

    「飲食事業統括を経験したことがあるヒト」

    だけを探しているわけでもない。

    例えば。

    会議に出ると、

    「で、結局誰がやるんだろう?」

    が気になる。

    お店に行くと、料理を楽しみながら、

    「この値段で儲かるのかな。」

    「この人数で回してるんだ。」

    なんてことまで見てしまう。

    誰かが、

    「最近ちょっと売上悪いんですよね。」

    と言うと、

    「なんで?」

    が勝手に始まる。

    頼まれていないのに、もっと良いやり方を考えてしまう。

    問題を見つけると、誰かがやるまで待っていられない。

    専門外でも、分からないからこそ調べたくなる。

    そして、

    自分の仕事だけ終わっていても、全体が終わっていないと気持ち悪い。

    もし、

    「あれ。これ、私のことかも。」

    と思ったなら。

    僕は、経験や肩書きより、こういうの方が気になります。

    世の中には、

    肩書きをもらってから仕事をするヒトと、

    肩書きをもらう前から、その仕事をしてしまっているヒト

    がいると思っています。

    僕が会いたいのは、たぶん後者です。

    もちろん最初は、一緒に考えればいい。

    分からない数字もある。

    見えない問題もある。

    判断に迷ったら、僕に訊けばいい。

    でも少しずつ、

    自分で気づくことが増える。

    自分で決められることが増える。

    店長たちから相談されるようになる。

    自分で会議を開くようになる。

    自分で数字をつくれるようになる。

    そして、いつか、

    僕がいなくても、飲食事業が前へ進んでいる。

    そこまで行ったら、

    もう「飲食事業統括」という肩書きすら、小さいかもしれません。

    新しい店をつくってもいい。

    新しいブランドを立ち上げてもいい。

    一つの事業を丸ごと任されてもいい。

    もっと先へ行きたければ、

    経営する側へ行けばいい。

    僕が探しているのは、

    僕の仕事を手伝ってくれるヒトではありません。

    いつか、僕の仕事を奪ってくれるヒトです。

    そうしたら僕は、

    また別の仕事をつくります(笑)。

    だから、

    今まで一度も「飲食事業統括」なんて仕事を考えたことがなくても、

    ここまで読んで、

    「これ、私かも。」

    と少しでも思ったなら。

    もしかすると、

    まだ、その仕事をしたことがないだけかもしれません。

  • 五つの店ではなく、五つの商売を見る。

    五つの店ではなく、五つの商売を見る。

    飲食事業統括には、五つの店を見てもらうことになります。
    でも、
    五店舗を管理してほしいわけではありません。
    見てほしいのは、
    五つの商売です。
    店が違えば、商売も違う。
    儲け方も違う。

    だから、
    売上だけ並べて、
    「今月は達成しました。」
    では、ちょっと足りない。
    売上は、
    結果です。
    なぜ、お客様が増えたのか。
    なぜ、減ったのか。
    客数なのか。
    客単価なのか。
    新しいお客様が来ていないのか。
    一度来たお客様が戻っていないのか。
    料理なのか。
    サービスなのか。
    価格なのか。
    集客なのか。
    あるいは、
    そもそも、この店に来る理由が弱くなっていないか。

    数字から現場へ潜る。
    現場で感じた違和感から、数字へ戻る。
    この往復をしてほしい。

    粗利だって同じです。
    原価率が上がった。
    それだけでは、まだ結果を見ているだけ。

    仕入れなのか。
    価格なのか。
    ポーションなのか。
    ロスなのか。
    売り方なのか。
    数字には、そうなった理由があります。

    僕が統括に求めているのは、
    数字を報告することではなく、
    数字の向こう側にある商売を読むこと。

    そして、読むだけでもない。
    もっとお客様に来てもらう。
    もっと喜んでもらう。
    客単価を上げる。
    粗利を守る。
    必要なら商品を変える。
    必要なら売り方も変える。
    自分で商売を良くしていく。

    五つの店を巡回するヒトではありません。
    五つの店長を管理するヒトでもありません。
    五つの商売を、どうすればもっと強くできるかを考え続けるヒト。

    それが、僕の考える飲食事業統括です。

    だから最終的には、
    「この店どうしましょう?」ではなく、
    「この商売、こうしたらもっと面白くなりますよ。」

    そんな話を、僕に持ってきてほしい。
    たぶん僕は、
    すぐ食いつきます(笑)。

  • 会議に参加するヒトは、いらない。

    会議に参加するヒトは、いらない。

    飲食事業統括に、やってほしくないことがあります。
    会議の傍観者になること。
    僕が会議を開く。
    僕が問題を見つける。
    僕が議題を出す。
    僕が質問する。
    僕が結論まで持っていく。
    その場に参加して、意見を言う。
    それでは困ります。

    僕が欲しいのは、
    会議に呼ばれるヒトではなく、会議を開くヒトです。
    「この店、予約の入り方がおかしい。」
    「この商品の数字、ちょっと気になる。」
    「最近、お客様の反応が変わってきた。」
    「このままだと来月マズいかもしれない。」
    そう思ったら、
    自分で調べる。
    問題を見つける。
    必要なヒトを集める。
    そして、
    「この件、話しましょう。」
    と、自分で会議を始めてほしい。
    もちろん、会議を開けば仕事が終わるわけではありません。
    むしろ、そこからです。
    何が問題なのか。
    なぜ起きているのか。
    どうするのか。
    誰がやるのか。
    いつまでにやるのか。
    そして、
    本当に終わったのか。
    そこまで追う。
    会議は、話す場所ではありません。
    仕事を前に進める場所です。

    だから統括は、会議の主催者であってほしい。
    僕から議題が出てくるのを待たない。
    店長から問題が上がってくるのを待たない。
    数字が落ちてから報告しない。

    自分で見つけて、
    自分で始めて、
    自分で動かす。
    そして次の会議では、
    僕がほとんど喋らなくても、仕事が前へ進んでいる。
    そんな状態になったら最高です。

    僕が探しているのは、
    僕の会議に参加してくれるヒトではありません。
    僕が参加しなくても、会議を前へ進められるヒトです。

    そのうち僕が、
    「え、今日会議だったの?」
    と言うくらいで、ちょうどいい(笑)。

  • 前線は任せる。後ろは僕が護る。

    前線は任せる。後ろは僕が護る。

    任せるというのは、放り出すことではない。

     

    前回、ワンスの飲食事業を任せられるヒトを探している、と書きました。

    鉄壁の守護神、求む。

    なんて書いたので、

    「え神ですか。要求、高くない?」

    と思われたかもしれません(笑)。

    確かに、前線は任せたい。

    僕は今、飲食事業の日常運営から離れています。

    だから、自分で現場を見て、考えて、判断して、動けるヒトが欲しい。

    でも、

    「任せる」と「丸投げする」は違う。

    全部一人でやれ、という話ではありません。

    分からないことがあれば、一緒に考えます。

    数字でもいい。
    人でもいい。
    採用でもいい。
    新しい企画でもいい。

    何か問題が起きた時には、

    僕を使えばいい。

    僕にできることなら、いくらでも使ってください。時給は1200円です。

    ただし、一つだけ。

    前線から逃げないでほしい。

    問題が起きた時に、

    「シンさん、どうしましょう?」

    だけではなく、

    「私はこうしたい。どう思います?」

    まで持ってきてほしい。

    自分で考える。
    自分で動く。
    自分の商売として向き合う。

    そのヒトが主人公として前に立っているなら、

    僕は、その後ろを鉄壁で護ります。

    失敗したっていい。

    僕だって散々失敗してきましたから。
    耐性あります。

    僕が欲しいのは、部下ではなくて

    飲食事業という一つの商売を、

    一緒に背負えるヒトです。

    前線は任せる。

    後ろは僕が護る。

    そんな関係で、仕事ができるヒトを探しています。

    あ、特典もあります。

    給料をもらいながら、
    お客様として自分たちの店で飲食できます。

    もちろん、仕事です(笑)。

    店の中から見える景色と、
    お客様の席から見える景色は、結構違う。

    料理を食べる。
    サービスを受ける。
    お金を払う側の気持ちになる。

    飲食事業を任せるなら、
    自分たちの店の、一番うるさいお客様でもあってほしい。

  • 鉄壁の守護神、求む。

    鉄壁の守護神、求む。

    落ちてから動くヒトではなく、落ちる前に動けるヒト。

    久しぶりに、ちゃんと求人をします。

    探しているのは、

    ワンスの飲食事業を、任せられるヒト。

    店長でもない。
    料理長でもない。

    肩書きをつけるなら、
    「飲食事業統括」になると思います。

    僕は今、飲食事業の日常運営からは離れています。

    試食はします。
    月に一度の会議にも出ます。
    新しいことも考えるし、必要なら口も出します(笑)。

    でも、あくまで側面・後方支援。

    前に立って、この商売を動かすヒトが欲しい。

    僕が求めているのは、管理するヒトではありません。

    商売するヒトです。

    料理人でなくても料理を見る。
    経理でなくても数字を見る。
    広告屋でなくても集客を考える。

    「そこは僕の専門じゃないので」で、
    自分の商売に境界線を引かない。

    そして、もう一つ。

    僕が欲しいのは、

    落ちた数字を見てから、原因を探すだけのヒトではありません。

    売上も、粗利も、サービスも、
    ある日突然落ちるわけじゃない。

    落ちる前には、必ず要因がある。

    料理の僅かなブレ。
    お客様の変化。
    スタッフの空気。
    予約の入り方。
    数字の小さな動き。

    まだ結果には出ていなくても、

    「このままだと、ちょっとマズいかも。」

    そんな予兆に気づけるヒト。

    最初から全部が視えなくてもいい。

    僕にも視えないことはあるし、
    経験しなければ視えないものもある。

    でも、

    違和感を放っておかない。
    分からなければ調べる。
    気づいたら動く。

    これは持っていてほしい。

    そして、いつか、

    「このヒトが見ていれば、店は落ちない。」

    そう思われるくらいになってほしい。

    僕が勝手に名付けるなら、

    鉄壁の守護神。

    もちろん、最初から一人で全部背負わせるつもりはありません。

    前線は任せたい。

    でも、前に立って戦ってくれるなら、
    僕は側面と後方から、ちゃんと護ります。

    守るだけじゃない。

    落とさない。そして、上げる。

    そんな飲食事業を、一緒につくりたい。

    そして、

    「あいつ、いいんじゃない?」

    というヒトをご存知なら、

    ぜひ、紹介してください。

  • 3万円は相談料ではありません。

    参謀会は、

    月額33,000円にしている。

    これを説明すると、

    当然、

    訊かれることがある。

    「月に何回、相談できるんですか?」

    もっともな質問だと思う。

    でも、

    少し困る。

    33,000円は、

    相談料ではないからだ。

     

    コンサル料でもない。

    顧問料とも、

    少し違う。

    一時間いくらという、

    僕の時間の値段でもない。

    参謀会に参画するための会費。

    今のところ、

    これが一番近い。

    ただ、

    自分で言っておいて、

    これがなかなか説明しづらい。

    (笑)

    僕がつくりたいのは、

    困った時だけ、

    答えを聞きに来る場所ではない。

    経営者同士が、

    定期的に自分の経営を持ち寄る。

    話す。

    人の話を聞く。

    自分とは違う考え方に触れる。

    そして、

    自分の会社へ戻って、

    何か一つ変えてみる。

    うまくいった。

    駄目だった。

    また話す。

    対話して、気づいて、動いて、また振り返る。

    その循環そのものを、

    つくりたい。

    だから、

    「33,000円で何時間シン・スズキを使えますか?」

    という設計にしてしまうと、

    ちょっと違う。

    もちろん、

    相談はしてほしい。

    むしろ、

    経営のことなら、

    どんどん話してほしい。

    でも、

    僕が全部の答えを持っていて、

    それを教える場所ではない。

    僕自身だって、

    他の経営者の話から、

    普通に気づくことがあると思う。

    誰かの失敗が、

    別の誰かの判断材料になる。

    ある会社で起きている問題が、

    自分の会社にも、

    少し形を変えて存在していることに気づく。

    一対一の相談だけでは生まれないものが、

    そこにはあると思っている。

    だから、

    参謀会。

    僕が、

    みんなの参謀になるだけでもない。

    参加している経営者同士が、

    時には、

    誰かの参謀になる。

    経営者が、経営者から気づきを得る。

    そんな文化を、

    つくれないかと思っている。

    月額33,000円という金額も、

    僕への相談回数を買うための値段ではない。

    その場所に参加する。

    自分の経営を持ち込む。

    他の経営にも触れる。

    そして、

    一年を通して、

    自分の経営を少しずつ変えていく。

    その環境に参加するための会費。

    僕は、

    そう考えている。

    だから、

    何時間使えば元が取れる、

    という話でもない。

    一回の対話で、

    一つの判断が変わることもある。

    誰かの一言で、

    半年悩んでいたことが、

    動き始めることもある。

    逆に、

    何も起きない月だって、

    あるかもしれない。

    それでも、

    定期的に、

    経営について話す場所がある。

    自分の経営を、

    一度外から見る時間がある。

    その積み重ねに、

    僕は価値があると思っている。

    まだ、

    僕自身も、

    参謀会の完成形が全部見えているわけではない。

    でも、

    一つだけは、

    かなりはっきりしている。

    月額33,000円で、僕を何時間か買うサービスにはしたくない。

    時間を売りたいわけでも、

    答えを売りたいわけでもない。

    経営者が、

    一人で考え続けなくていい場所をつくる。

    そして、

    そこにいる経営者同士で、

    少しずつ強くなっていく。

    その場所に、

    毎月33,000円で参加する。

    今の僕には、

    それが一番しっくりくる。

    相談料ではない。
    コンサル料でもない。
    参謀会の、会費です。

    シンプルに言えば、

    そういうことなんだと思う。

  • 定例をなくすと、組織は少しずつ壊れる。

    僕は、定例ミーティングを、思いのほか重要視している。

    毎週でも、
    隔週でも、
    月一でもいい。
    決まった人間が、
    決まった時間に集まって、
    顔を合わせて話す。
    ものすごく地味だけれど、
    これをやらなくなると、
    組織って、
    少しずつおかしくなると思っている。

    中小零細企業を見ていると、
    そもそも定例という文化がない会社も、
    結構ある。

    何かあったら話す。
    必要になったら集まる。
    問題が起きたら会議する。

    一見、
    効率が良さそうにも見える。
    でも僕は、
    結構危険だと思っている。

    なぜなら、
    問題になる前の小さな違和感が、共有されないからだ。

    最近どう?
    あれどうなった?
    何か困ってる?
    あの話、
    その後どう?

    定例があれば、
    こんな話が自然に出る。

    大問題ではない。
    わざわざ電話するほどでもない。
    メールを書くほどでもない。
    でも、
    ちょっと気になっている。

    組織って、
    案外こういうものが、
    溜まっていく。

    そして、
    定例がないと、
    それぞれが勝手に解釈し始める。

    社長、
    最近機嫌悪いよね。
    あの人、
    何考えてるんだろう。
    この案件、
    どうするつもりなんだろう。
    自分は聞いてない。

    でも、
    顔を合わせて話してみたら、
    「ああ、そういうことだったのね。」
    で終わることも多い。

    人間なんて、
    そんなものだと思う。

    だから僕は、
    定例を、
    単なる進捗確認の時間だとは思っていない。

    組織のズレを、定期的に元へ戻す時間。
    こっちの意味の方が、
    大きいと思っている。

    もちろん、
    現場は嫌がる。
    (笑)

    「また会議ですか。」
    「その時間あったら仕事できます。」
    「特に報告ありません。」

    分かる。
    僕だって、
    意味のない会議は嫌いだ。

    でも、
    定例は少し違う。

    報告することがあるから、
    集まるのではない。
    何もなくても、集まる。
    ここが大事だと思う。

    人間だから、
    放っておけば、
    少しずつズレる。

    優先順位もズレる。
    認識もズレる。
    温度もズレる。
    人間関係も、
    少しずつズレる。

    だから、
    一週間に一回。
    あるいは、
    一か月に一回。
    一度、
    同じ場所へ戻る。

    顔を見る。
    声を聞く。
    話す。
    確認する。
    また仕事へ戻る。

    僕は、
    これだけでも、
    相当なマネジメントだと思っている。

    もちろん、
    リモートでもいい。
    必ず同じ部屋にいる必要はない。

    大事なのは、
    決まった周期で、対話が必ず発生すること。

    「必要になったら話しましょう。」
    ではなく、
    必要があってもなくても、
    次に話す日が決まっている。

    これだけで、
    相談する側も随分違う。

    「これ、
    次の定例で話そう。」
    と置いておける。

    経営者側だって、
    スタッフの顔を定期的に見る。

    元気そうだな。
    なんか疲れてるな。
    いつもより喋らないな。
    今日は妙に喋るな。
    (笑)

    資料には出ない情報も、
    結構ある。

    僕は、
    定例のない組織を見ると、
    少し怖くなる。

    普段うまくいっている時は、
    何も起きない。
    だから、
    なくても平気に見える。

    でも、
    何かがズレ始めた時、
    それを修正する場所がない。

    そして、
    ズレが大きくなってから、
    初めて会議をする。

    それでは、
    遅いことがある。

    定例は、問題を解決するためだけの場所ではない。
    問題になる前に、組織を整える場所でもある。

    面倒くさい。
    話すことがない。
    忙しい。
    今日は飛ばそう。

    分かる。

    でも、
    そうやって一回飛ばす。
    また飛ばす。
    気づけば、
    誰もちゃんと話さなくなる。

    僕は、
    そっちの方が、
    よほど面倒くさいと思う。

    会社なんて、
    結局、
    人間の集まりだ。
    放っておけば、
    だれる。
    ズレる。
    誤解もする。
    機嫌だって悪くなる。

    だから、
    定期的に集まって、
    話す。

    ものすごく原始的だけれど、
    この原始的なことを、仕組みにして続ける。
    それが、
    案外、
    組織を壊さないための、
    かなり大事な技術なんじゃないかと思っている。