僕は、定例ミーティングを、思いのほか重要視している。
毎週でも、
隔週でも、
月一でもいい。
決まった人間が、
決まった時間に集まって、
顔を合わせて話す。
ものすごく地味だけれど、
これをやらなくなると、
組織って、
少しずつおかしくなると思っている。
中小零細企業を見ていると、
そもそも定例という文化がない会社も、
結構ある。
何かあったら話す。
必要になったら集まる。
問題が起きたら会議する。
一見、
効率が良さそうにも見える。
でも僕は、
結構危険だと思っている。
なぜなら、
問題になる前の小さな違和感が、共有されないからだ。
最近どう?
あれどうなった?
何か困ってる?
あの話、
その後どう?
定例があれば、
こんな話が自然に出る。
大問題ではない。
わざわざ電話するほどでもない。
メールを書くほどでもない。
でも、
ちょっと気になっている。
組織って、
案外こういうものが、
溜まっていく。
そして、
定例がないと、
それぞれが勝手に解釈し始める。
社長、
最近機嫌悪いよね。
あの人、
何考えてるんだろう。
この案件、
どうするつもりなんだろう。
自分は聞いてない。
でも、
顔を合わせて話してみたら、
「ああ、そういうことだったのね。」
で終わることも多い。
人間なんて、
そんなものだと思う。
だから僕は、
定例を、
単なる進捗確認の時間だとは思っていない。
組織のズレを、定期的に元へ戻す時間。
こっちの意味の方が、
大きいと思っている。
もちろん、
現場は嫌がる。
(笑)
「また会議ですか。」
「その時間あったら仕事できます。」
「特に報告ありません。」
分かる。
僕だって、
意味のない会議は嫌いだ。
でも、
定例は少し違う。
報告することがあるから、
集まるのではない。
何もなくても、集まる。
ここが大事だと思う。
人間だから、
放っておけば、
少しずつズレる。
優先順位もズレる。
認識もズレる。
温度もズレる。
人間関係も、
少しずつズレる。
だから、
一週間に一回。
あるいは、
一か月に一回。
一度、
同じ場所へ戻る。
顔を見る。
声を聞く。
話す。
確認する。
また仕事へ戻る。
僕は、
これだけでも、
相当なマネジメントだと思っている。
もちろん、
リモートでもいい。
必ず同じ部屋にいる必要はない。
大事なのは、
決まった周期で、対話が必ず発生すること。
「必要になったら話しましょう。」
ではなく、
必要があってもなくても、
次に話す日が決まっている。
これだけで、
相談する側も随分違う。
「これ、
次の定例で話そう。」
と置いておける。
経営者側だって、
スタッフの顔を定期的に見る。
元気そうだな。
なんか疲れてるな。
いつもより喋らないな。
今日は妙に喋るな。
(笑)
資料には出ない情報も、
結構ある。
僕は、
定例のない組織を見ると、
少し怖くなる。
普段うまくいっている時は、
何も起きない。
だから、
なくても平気に見える。
でも、
何かがズレ始めた時、
それを修正する場所がない。
そして、
ズレが大きくなってから、
初めて会議をする。
それでは、
遅いことがある。
定例は、問題を解決するためだけの場所ではない。
問題になる前に、組織を整える場所でもある。
面倒くさい。
話すことがない。
忙しい。
今日は飛ばそう。
分かる。
でも、
そうやって一回飛ばす。
また飛ばす。
気づけば、
誰もちゃんと話さなくなる。
僕は、
そっちの方が、
よほど面倒くさいと思う。
会社なんて、
結局、
人間の集まりだ。
放っておけば、
だれる。
ズレる。
誤解もする。
機嫌だって悪くなる。
だから、
定期的に集まって、
話す。
ものすごく原始的だけれど、
この原始的なことを、仕組みにして続ける。
それが、
案外、
組織を壊さないための、
かなり大事な技術なんじゃないかと思っている。
