投稿者: shinsuke009

  • うまいものが食べたい。

    和食、イタリアン、松阪牛、うなぎ、焼肉。

    一見すると、ずいぶんバラバラな会社に見える。

    でも僕の中では、全部ひとつの同じ理由から始まっている。

    うまいものが食べたい。

    ——

    うちの会社には、五つの飲食店がある。

    和食。
    イタリアン。
    松阪牛。
    うなぎ。
    焼肉。

    「何屋の会社なんですか」

    と聞かれたら、確かに説明しづらい。

    でも、僕の中では別にバラバラではない。

    昔から、ものすごく太い一本の軸がある。

    うまいものが食べたい。

    うまい魚が食べたい。
    うまい肉が食べたい。
    うまい鰻が食べたい。
    うまいナポリピッツァが食べたい。

    だったら、そういう店をつくればいい。

    僕らの飲食店は、だいたいそこから始まっている。

    「人の大切な時間をつくる」

    という言い方もできる。

    家族で食事をする。
    友人と久しぶりに会う。
    誕生日を祝う。
    大切な人を連れていく。

    飲食店は、人の大切な時間を預かる場所だ。

    でも、それは僕にとって結果であって、出発点ではない。

    出発点は、もっと単純だ。

    自分が食べたい。

    そして、どうせうまいものを食べるなら、

    気持ちのいい場所で食べたい。

    汚い店より、綺麗な店がいい。

    居心地の悪い椅子より、気持ちよく座れる椅子がいい。

    変な照明の下で食べるより、料理がちゃんとうまそうに見える明かりがいい。

    気の利かない接客より、

    「あ、この人分かってるな」

    と思える人にサービスしてもらいたい。

    別に高級である必要はない。

    豪華である必要もない。

    まず、うまい。

    そのうえで、

    気持ちがいい。
    居心地がいい。
    親切だ。
    値段にも納得できる。
    また来たいと思える。

    僕が欲しい店は、そういう店だ。

    だから五つの店は、料理のジャンルこそ違うけれど、やっていることは同じだ。

    料理も違う。
    店の形も違う。
    客単価も違う。

    でも、

    自分たちが本当にうまいと思えるものを、気持ちのいい店で出す。

    会社として統一されていないように見えても、

    僕の中では、ずっと同じだ。

    うまいものが食べたい。

    結局、僕らの飲食事業は、

    そこから始まっている。

  • たぶん揉める。絶対揉める。だから僕らが間に入る。

    店をやる人と、お金を出す人。

    相性が良ければ最高の組み合わせに見える。

    でも、勢いと善意だけで始めると、たぶんどこかで揉める。

    だから僕らは、出会わせるだけでは終わらない。

    ——

    店をやりたい人がいる。

    お金を出して、その店を支えたい人がいる。

    だったら二人を引き合わせればいい。

    一見、とても簡単に見える。

    でも僕は、

    かなりの確率で揉めると思っている。

    最初はいい。

    「やりましょう」

    「面白そうですね」

    と盛り上がる。

    店ができる。

    オープンする。

    お客様が来る。

    みんな嬉しい。

    問題は、そのあとだ。

    思ったほど利益が出なかったらどうするのか。

    追加のお金が必要になったら誰が出すのか。

    利益が出たら、どう分けるのか。

    設備が壊れたら誰が払うのか。

    人を増やすのは誰が決めるのか。

    店主はどこまで自由に決められるのか。

    お金を出した人は、どこまで経営に口を出せるのか。

    店主が辞めたくなったらどうするのか。

    出店パートナーが途中で抜けたくなったらどうするのか。

    こういう話は、始める時にはあまりしたくない。

    未来を見て盛り上がっている時に、

    「別れる時の話をしましょう」

    なんて言いたくないからだ。

    だから、

    「まあ、その時は話し合えばいいですよ」

    となる。

    僕は、それが一番怖い。

    その時になったら、もう利害が違っているからだ。

    どちらが悪いわけでもない。

    店を運営している人には、その人の生活がある。

    お金を出した人には、その人のお金がかかっている。

    立場が違えば、見える景色が違う。

    僕は仕事柄、こういう場面をずいぶん見てきた。

    人と人が組んで商売をすると、どこで意見が食い違うのか。

    何を曖昧にすると、あとで問題になるのか。

    どんな小さな違和感が、数年後に大きな揉め事になるのか。

    揉め事を整理することは、僕の十八番で本業中の本業だ。

    揉め事のプロとしての仕事の流儀は、揉めてから仲裁することではない。

    どこで揉めるかを知っているから、最初から揉めにくい形をつくることだ。

    だから僕らが間に入る。

    単に、

    「お金を出してくれる人を紹介します」

    「店をやってくれる人を紹介します」

    というマッチングはしない。

    誰が何を担うのか。

    誰が何を決められるのか。

    お金をどう出すのか。

    利益をどう分けるのか。

    追加資金が必要になったらどうするのか。

    誰かが抜ける時にはどうするのか。

    うまくいかなかった時に、どう終わるのか。

    始める前に、終わり方まで決めておく。

    そして、始まったあとも僕らが間にいる。

    店主の話も聞く。

    出店パートナーの話も聞く。

    必要なら、同じテーブルにつける。

    どちらか一方の味方になるのではない。

    僕らが守るのは、

    店と、暖簾と、その関係が長く続くこと。

    善意を疑っているわけではない。

    むしろ逆だ。

    良い関係を長く続けたいからこそ、

    善意だけに頼らない。

    僕らが介在する意味は、そこにあると思っている。

    店をやる力はあるけれど、お金がない人。

    お金はあるけれど、自分では店を運営できない人。

    暖簾と店づくりの経験を持つ僕ら。

    この三者が、それぞれの役割を理解して組めたら。

    今までなら生まれなかった店が、生まれるかもしれない。

    そして、それが十年、二十年と続く店になるかもしれない。

    そこまでできて初めて、

    暖簾を分けた意味がある。

  • 店をやる人。出店を支える人

    オペレーションには自信がある。

    でも、まとまった資金はない人。

    一方には、自分では店を運営できないけれど、好きな店をつくる側に参加したい人がいる。

    この二人を組み合わせる道があってもいい。

    ——

    暖簾分けには、大きく二つの道があっていいと思っている。

    一つは、オーナー店主として暖簾を受け継ぐ。

    自分で資金を用意して、自分で店を経営する。

    これは一番分かりやすい。

    もう一つは、

    店をやる人と、出店を支える人が別々にいる形だ。

    世の中には、

    「店を運営する自信はある。でもまとまった資金まではない」

    という人がいる。

    一方には、

    「うなぎが大好きなんです」

    「肉が大好きなんです」

    「自分の街にも、こんな店があったらいい」

    「自分も店を持てたら面白いだろうなあ」

    と思っている人もいる。

    お金はある。

    でも、自分が毎日厨房に立つわけではない。

    飲食店をオペレーションする技術もない。

    そういう人だって一定数いる。

    個人だけではない。

    良いテナントを探している施設オーナーかもしれない。

    自分の物件に魅力ある店を入れたい不動産オーナーかもしれない。

    デベロッパーや事業会社かもしれない。

    僕らは、こうした出店を支える人を「出店パートナー」と考えている。

    単なるお金の出し手という意味ではない。

    自分では店を運営できないけれど、

    好きな店をつくる側に参加する人。

    そんな捉え方の方が近い。

    店をやる人。

    出店を支える人。

    そして、暖簾と店づくりのノウハウを持つ僕ら。

    それぞれが、得意なものを持ち寄ればいい。

    お金を持っていないから、店主になれない。

    飲食経験がないから、好きな店を持つことに関われない。

    どちらも、少しもったいない。

    役割を分ければ、今まで存在しなかった店が生まれるかもしれない。

    ただし。

    僕は、この仕組みをそんなに甘く考えてはいない。

    むしろ、ここからが一番難しいと思っている。

    店をやる人と、お金を出す人。

    この二人を、そのまま二人だけで組ませてはいけない。

    たぶん、揉める。

  • お金がないから、店主になれない。それも違うと思う。

    店をやる力があることと、数千万円の資金を持っていることは、まったく別の能力だ。

    でも飲食店の独立では、なぜかその二つを同じ人間に求める。

    ——

    良い料理人であること。

    良い店長であること。

    人をまとめられること。

    お客様を見られること。

    数字を理解できること。

    良い経営者になれること。

    そして、

    千万円単位のお金を持っていること。

    これは、まったく別の能力だと思う。

    でも飲食店で独立しようとすると、なぜかこの二つを同じ人間に求める。

    自分でお金を貯める。

    銀行から借りる。

    自分で店をつくる。

    もちろん、それができるなら一番分かりやすい。

    ただ、僕は金融の現実もそれなりに見てきた。

    銀行がお金を貸す時には、当然リスクを見る。

    自己資金を見る。

    実績を見る。

    返済できるかを見る。

    担保や保証を見ることもある。

    銀行が慎重になるのは当たり前だ。

    預かったお金を貸しているのだから。

    でも、その仕組みだけでは拾いきれない人がいる。

    まだ大きなお金は持っていないけれど、店をやる力のある人だ。

    では、投資銀行やベンチャーキャピタルへ行けばいいか。

    街の一軒の飲食店を出すために必要な数千万円のリスクを、彼らが一件ずつ引き受けてくれるかといえば、普通はそういう世界ではない。

    求めている投資規模も、成長性も違う。

    つまり、

    数千万円あれば店を持てる。

    でも、その数千万円を出してくれる場所がない。

    そんな谷間がある。

    僕は、そこに店主になれる人が埋もれている気がしている。

    だから暖簾分けでは、

    資金がないという理由だけで、その人を候補から外したくない。

    その人に本当に店を任せられるのなら、お金については別の方法を考えてもいい。

    店をやる才能と、出店するための資金。

    この二つを、一度切り離して考えてみる。

    そうすると、もう一つの暖簾分けの形が見えてくる。

    リスクをとらない金融機関への、ささやかなアンチテーゼとも言える。

  • 金を貯めるより、経験を貯めろ。

    若いうちから独立資金を貯めることばかり考えなくていい。

    それより良い店で食べて、良い宿に泊まって、旅をしてほしい。

    僕は、その人が何を経験してきたかの方を見たい。

    ——

    いつか独立したい。

    自分の店を持ちたい。

    そういう人に、

    「だったらまず金を貯めろ」

    というのは、ものすごく正しい。

    自己資金は大切だ。

    店をつくれば想像以上にお金がかかるし、開業後の運転資金も必要になる。

    それは分かっている。

    でも僕なら、若い人にはもう一つ言いたい。

    金を貯めるより、経験を貯めろ。

    外食をしてほしい。

    どうせなら、良い店へ行ってほしい。

    一万円の料理を食べたことがない人に、一万円の料理を出す店をつくるのは難しい。

    三万円の店が、なぜ三万円なのか。

    料理なのか。

    器なのか。

    サービスなのか。

    空間なのか。

    予約した瞬間から始まる体験なのか。

    自分でお金を払ってみないと分からないことがある。

    旅もしてほしい。

    どうせなら、たまには良い宿にも泊まってほしい。

    高いところへ行け、という意味ではない。

    自分がまだ知らない「良いもの」を体験してほしい。

    建築を見る。

    その土地の料理を食べる。

    知らない街を歩く。

    知らない人と話す。

    いつもと違う景色を見る。

    それらは全部、その人の中に残る。

    店をつくる時、最後に出てくるものは、その人が今まで何を見て、何を食べて、何を感じてきたかだと思う。

    もちろん、全部使ってしまえという話ではない。

    生活を壊してまで遊べとも思わない。

    でも、

    貯金だけを人生の投資だと思わないでほしい。

    経験に使ったお金だって、自分の中に残る。

    だから僕は、その人が独立を考えた時、預金通帳の数字だけを見たくない。

    どんな店で働いたのか。

    どんな店で食べたのか。

    どんな場所へ行ったのか。

    どんな人に会ったのか。

    何に感動したのか。

    何を格好いいと思ってきたのか。

    僕が見たいのは、

    その人の中に、何が貯まっているかだ。

  • 暖簾を分ける相手とは

    資金がある。

    物件がある。

    経験がある。

    それだけでは暖簾を渡す理由にはならない。

    僕らが探しているのは加盟希望者ではなく、同じ暖簾の仲間だからだ。

    ——

    暖簾分けを始めれば、当然「やりたい」という人を探すことになる。

    資金の話、物件の話、飲食経験の話にもなる。

    どれも大切だ。

    でも、それだけで暖簾分けはできない。

    僕らが一番大切にしたい条件を一つだけ挙げるなら、

    良い人であること。

    ものすごく曖昧だ。

    でも、結局そこに戻ってくる。

    単に優しい人という意味ではない。

    僕らの店が何を大切にしているのかを理解しようとしてくれる人。

    うまいものを出すことを当たり前だと思える人。

    お客様に対して、ちゃんとした営業をしようとする人。

    問題が起きた時に隠さず話せる人。

    もっと良くするために、自分で考えられる人。

    そして、

    自分の店だけが良ければいい、と思わない人。

    同じ暖簾を掲げる以上、信用も共有する。

    だったら困った時だって共有していい。

    自分が助けてもらうなら、自分も誰かを助ける。

    僕は、そういう関係にしたい。

    だから、

    「対価を払っているんだから、本部が全部やってください」

    という人とは、たぶん合わない。

    いや、絶対合わない。

    逆に、本部だから偉いという考え方もしたくない。

    僕らにも間違いはある。

    そんな時には僕らが教えてもらうこともあるはずだ。

    味や品質、暖簾として守るべきことは守ってもらう。

    そのうえで、一人の経営者として自分の店を育ててほしい。

    だから僕らも相手を選ぶ。

    そして当然、相手にも僕らを選んでもらう。

    何度も話してみる。

    店にも来てもらう。

    できれば一緒に食事もしたいし、お酒も呑みたい。

    条件では決まらないと思っている。

    「この人となら、一緒にやれそうだな。」

    お互いがそう思えるかどうか。

    その人に出会うまで、一軒も暖簾を渡せなかったとしても構わない。

    暖簾は、急いで増やすものではない。

  • 暖簾分けは、店を増やす仕組みではない。

    最初は、

    ここにも寿ゞきんがあったらいい。
    鈴喜があったらいい。

    という単純な話だった。

    でも考え続けているうちに、僕らがつくりたいものは単なる店舗展開とは少し違うものになってきた。

    ——

    ここまで考えてきて、暖簾分けというものに対する僕の考えも変わってきた。

    最初は店を増やしたかった。

    でも今は、

    店舗数を増やすこと自体が目的ではない。

    と思っている。

    それぞれに自分の商売を持った店主がいる。

    会社も違う。

    経営者も違う。

    それでも同じ暖簾でつながっている。

    守るべき味や品質がある。

    大切にする考え方がある。

    技術を共有する。

    新しい発見も共有する。

    困った時には助け合う。

    本店から分店へ一方的に何かを与えるだけではなく、分店から本店へ返ってくるものもある。

    僕が描いているのは、そんな関係だ。

    だから、フランチャイズという仕組みを否定するつもりもない。

    ブランドやノウハウを効率よく広げる、よくできた仕組みだと思う。

    ただ、僕らがつくりたいものは少し違う。

    本部が上にいて、その下に加盟店がずらっと並んでいる。

    僕は、あまりそんな絵を描いていない。

    独立した商売人たちが、同じ暖簾で横につながっている。

    その中心にショックアブソーバーとして僕がいる。

    本店も良くなる。

    分店も良くなる。

    店主も成長する。

    そこで働く人も成長する。

    そして、暖簾そのものが少しずつ強くなる。

    もちろん、そんなに綺麗なことばかりではないだろう。

    まだ始めてもいない。

    分からないことだらけだ。

    それでも、目指したい景色は見えている。

    僕らが増やしたいのは、店舗数ではない。

    同じ暖簾の仲間だ。

    その結果として、店が増えていく。

    僕らには、そのくらいの順番がちょうどいい。

  • プレゼンの軍門

    寿ゞきんも鈴喜も、料理は基本的にワンオペだ。

    小さい店だから強い。

    でも、小さい店だからこその弱点もある。

    そこを逆手に取ってみんなに話したことが、最後の決定打になった。

    ——

    暖簾分けの話をしても、みんなが簡単に首を縦に振ったわけではない。

    そこで僕は、もう一つ話をした。

    寿ゞきんも鈴喜も、料理は基本的にワンオペだ。

    これは小さな店を運営するうえでは、とても合理的だと思っている。

    でも、明確な弱点がある。

    その一人が仕事をできなくなったら、店を開けられない。

    事故かもしれない。

    病気かもしれない。

    本人がどれだけ気をつけていても、人生には何が起きるか分からない。

    そうなれば、その間は休業するしかない。

    そこで言ってみた。

    「でもさ、同じ暖簾の仲間がたくさんいたら、もしかして助けてくれるんじゃないの?」

    例えば五つの分店があり、それぞれに同じ料理を理解している人がいる。

    本店の料理人が一週間店に立てなくなった時、五店から一人ずつ、一日だけ応援に来てくれたらどうだろう。

    それだけで営業できてしまうかもしれない。

    複数の料理人がいて、無休で営業するような分店が生まれれば、もっと助けてもらえるかもしれない。

    一店舗だけで考えれば、

    一人しかいない。

    でも、暖簾全体で考えれば、

    仲間が何人もいる。

    これはまったく違う。

    もちろん、都合のいい話だけはしない。

    僕はちゃんと言った。

    「その代わり、自分も助けに行かないといけないよ。」

    自分が困った時だけ助けてもらう関係では成立しない。

    どこかの店で困ったことが起きたら、今度はこちらが助ける。

    本店だから偉いとか、分店だから従うとか、そういう話でもない。

    同じ暖簾を掲げる店同士が、お互いの店を守る。

    店が増えるほど、一店舗一店舗を守る力が強くなる。

    そんな暖簾分けなら、やる意味がある。

    この話をしたあたりで、みんなも、

    「それなら、確かに」

    となった。

    僕としては、

    ようやく軍門に下ったな。

    と思ったわけです。

  • 暖簾分けを、みんなが受け入れてくれた理由。

    僕が「暖簾分けをやろう」と言ったから始まったわけではない。

    社内のみんなが最後に合点してくれたのは、店を増やせるからではなく、

    「外の良き人」と出会う意味だった。

    ——

    「社員じゃなくてもいいんじゃないか」

    僕の中では、暖簾分けという答えが少しずつ見えてきた。

    でも、僕一人が納得しても進まない。

    実際に店を守っているみんなが納得しなければ、暖簾分けなんてできない。

    知らない誰かに、自分たちが大切にしてきた店の名前を渡す。

    ちゃんと味を守れるのか。

    ちゃんと接客できるのか。

    変な店にならないのか。

    心配する方が普通だ。

    そこで僕がみんなに話したのは、

    「店を増やせる」

    という話ではなかった。

    良き人と出会えるかもしれない。

    という話だった。

    僕は、人が進化する時には、かなりの割合で「人との出会い」があると思っている。

    自分とは違う経験をしてきた人。

    自分にはない技術を持っている人。

    違う場所で商売をしてきた人。

    でも、根っこの理念や考え方は同じ人。

    そんな人と出会うことで、自分たちが今まで当たり前だと思っていたことを見直すことがある。

    教えるつもりだった相手から、逆に教えられることだってある。

    暖簾分けを、本店から分店へ何かを教えるだけの一方通行にはしたくない。

    外にいる良き人が僕らの暖簾を受け継ぐ。

    その人が自分の店を良くする。

    その姿を見て、僕らの直営店も刺激を受ける。

    また僕らが新しいものをつくり、それを暖簾店へ返す。

    お互いが良くなっていく。

    そんな関係なら、組織が違うことなんて大した問題ではない。

    暖簾分けは、店を増やすためだけの仕組みではない。

    僕ら自身が、外の良き人と出会うための仕組みにもなる。

    この話には、みんなも少しずつ合点してくれた。

    新しい人と出会えば、今まで開かなかった扉が開くかもしれない。

    その先の未来なら、きっと面白い。

  • 「人がいない」を、考え直してみた。

    店を増やそうとすると、いつも最後に出てくる言葉があった。

    「人がいない」。

    確かにその通りだ。

    でも、そもそも僕らが言っている「人」とは誰なんだろう。

    ——

    「人がいません。」

    これは正しい。

    店を一軒増やせば、店長がいる。
    料理をつくる人がいる。
    サービスをする人がいる。
    それを管理する人も必要になる。

    今いる人たちに無理をさせてまで店を増やすなんて、僕もやりたくない。

    だから「人がいないなら仕方がない」と、僕自身も店を増やすことは考えなくなった。

    でも、ある時この「人」というものを一度、考え直してみた。

    僕らが本当に必要としている人って、何なんだろう。

    考えていくと、結論は意外なくらい当たり前だった。

    良い人であること。

    店の理念や考え方を理解してくれる。

    料理やサービスで守るべきものを理解してくれる。

    お客様に対して、ちゃんとあるべき営業をしてくれる。

    問題が起きた時には話し合える。

    もっと良くしようと、一緒に考えられる。

    言葉にすると、本当に当たり前のことばかりだ。

    でも、当たり前が一番難しい。

    そして、もう一つ気づいた。

    その人が、うちの社員である必要はあるのだろうか。

    考えてみれば、そんな必要はなかった。

    同じ会社の社員でも、考え方が通じなければ一緒に良い店はつくれない。

    逆に会社が違っていても、同じ理念を理解し、同じ方向を向き、必要な時にタイムリーにコミュニケーションが取れるなら、一緒に店を育てることはできる。

    そこで初めて思った。

    「組織や所属が分かれていても、いいんじゃないか。」

    一つの会社がすべての人を雇用して、すべての店を直営する。

    それだけが店を広げる方法ではない。

    それぞれが自分の商売を持っていてもいい。

    それぞれが独立した経営者でもいい。

    でも、暖簾の下では同じ方向を向いている。

    「人がいない」から店を増やせないのではなかった。

    僕らが、人を探す場所を社内だけに限定していた。

    この気づきが、暖簾分けにつながった。