視座が変われば、発言も変わる。
僕だって、人には好かれたい。
一緒に働いている人たちから、
嫌われたいわけじゃない。
できれば、
「シンさん、それいいですね」
と言ってもらえる方が気分はいい。
でも、仕事をしていると、
それだけでは困る。
僕が間違っているなら、
「シンさん、それ違いますよ」
と言ってほしい。
ただ、最近思うんです。
問題は、
意見を言うかどうかじゃない。
どの高さから、その話をしているか。
ここで言う「高さ」は、
役職の高さではありません。
視座の高さの話です。
たとえば、
「人がいないから、できません。」
現場から見れば、
これは事実かもしれない。
目の前のシフトを見れば、
本当に人が足りない。
だから、
その発言自体は間違っていない。
でも、店全体を見る人なら、
「今の人数では難しいです。
ただ、ここを変えればできます。」
になるかもしれない。
さらに会社全体から見れば、
「この店だけでは無理ですが、
他店との配置を組み替えればできます。」
になるかもしれない。
もっと先まで見れば、
「この状態が続くなら、
そもそも採用や配置の仕組みを変える必要があります。」
という話になる。
同じ「人がいない」という事実を見ていても、
立っている高さによって、発言が変わる。
これが視座なんだと思います。
現場には、現場の正しさがある。
店長には、店長の正しさがある。
経営には、経営の正しさがある。
どれかが間違っているわけではない。
ただ、
見えている範囲が違う。
今日だけを見るのか。
今月を見るのか。
会社全体を見るのか。
三年先まで見るのか。
その違いで、
同じ問題への答えはまるで変わってくる。
だから僕は、
誰かの発言を聞くとき、
「賛成か、反対か」
だけを聞いているわけではない。
この人は今、どこからこれを見ているんだろう。
そこを見ている。
もちろん、
現場からしか見えないものもたくさんある。
僕には見えていないことを、
現場の人が見つけることだってある。
だからこそ、
上とか下とかいう話ではない。
必要なのは、
一度、自分が立っている場所から離れてみること。
もし自分が店長だったら。
もし自分が社長だったら。
もし自分がこの会社を三年後まで背負う人間だったら。
同じことを、
同じ言葉で言うだろうか。
たぶん、
発言は変わると思う。
僕自身も同じです。
自分では高いところから見ているつもりでも、
もっと高いところから見れば、
間違っていることはいくらでもある。
だから欲しいんです。
ただ反対してくれる人ではない。
ただ「できません」と言ってくれる人でもない。
「今の体制では難しいです。
でも、こう変えればできます。」
「なぜなら、
現場はこうで、数字はこうで、
この先こうなるからです。」
そこまで持ってきてくれる人。
僕と同じ高さまで来て、
できれば、
僕より高いところから議論してくれる人。
そして、
「シンさん、それ違いますよ。」
と言ってくれる人。
そのときは、
ちゃんと聞きます。
たぶん。(笑)
発言の内容だけを聞くのではなく、
その発言が、どの高さから出てきたものなのか。
僕は最近、
そこをとても大事にしています。
